わからない

娘に関することで、たびたびセンチメンタルに襲われる。今週もそうだった。

おそらくそれは、子育てに関する選択の数々が、どれも初めてのことばかりだからだと思う。初めてのことはわからない。そんなの子育てに、限ったことではないけれど。それでも子どもを産んでから一年くらい、わからないということがずっと怖かった。というのも、あらゆる選択の結果、起こることすべての責任が、母親であるわたしにだけ、あるような気がしていたからだ。極端に言えば、子どもの命が自分に直結しているように思えた。それは恐怖で重圧だった。

産後一ヶ月間の里帰りで、傷ついた言葉も「わからない」だった。とにかくわからないことだらけのなか、することといったら授乳しかない時期なのに、ずっと授乳に関するトラブルを抱えつづけていた。いろんな質問を母にしたが、「わからない」と即答されることが、ほとんどだった。母乳をあげることが困難だったのが、トラブルのおもな原因だったが、それでも母乳はぜったい善という態度を取られたことで、母に頼ることをわたしは早々にあきらめた。

仕方のないことだ。子育てに関する情報はめまぐるしく移り変わる。きっと三年まえといまも違う。母に何十年もまえの記憶がないことを、責めようがない。ネットと繋がっていない自分の親に、何か情報を期待することじたい、間違っている。

いや違う、そういうことでもない。わたしが期待していたのは、母に寄りそってもらえることだった。つきはなされたようにかんじていた。わたしは大丈夫だと、言ってもらいたかったのだ。

そんなに傷ついていたのに、いつしかわからないは、安心をかんじる言葉にも変わっていった。

今年の始め『メッセージ』というSF映画を観た。映画を観たあと、わたしはよく他者の解釈も知りたくなって、ネット上で情報を検索するのだが、そのとき目にしたのは、たしか外国人の女性たちによる、鑑賞後の座談会を文章化した記事だった。主人公の女性が、子どもを産むことに関してする選択に言及したのだったか、印象に残ったのが「なぜ子どもが欲しかったのかはっきりとわからないし、産んでからもわからないままだ」というような一文だった。わたしがかんじたのは、つきはなされた、思考停止した「わからない」ではなく、ひらかれたままの疑問として、そばにある「わからない」だった。そして、わからなくてもすすんでいく。わからないまま子育てしたって、べつにいいではないかと思った。

そもそも、やってみないことには何もわからないのだが、明確な答えが得られることばかりではない。答えがでるまでの時間も違えば、答えがでずに終わっていくことだってあるだろう。それでも選択は、これからも無数にあって、わからないはつづいていく。

子どもとの暮らしに慣れたのもある。悩んでいても、「大丈夫」だと、いちばんに教えてくれるのは、子どもの姿だったりする。あーちゃんは園に通い始め一ヶ月が経ったが、ほとんど園内で喋っていないようだ。それでも大丈夫だと、本人を見ていて思う。

いまでは、子育ては夫としていると思っているし(それでも単位としては少ないけれど)、ずいぶん親を頼れるようにもなった。わたしたちは、いま考え得る最も良い選択をしていると、ただ信じることしかできない。

それでも、わたしは「わからない」に揺れる。子どもの保育に関して、ある急を要する選択をして、それが最良と信じているのに、他者の言葉や反応に対して、揺れてしまう。わからないと言われながら振りかざされた、表面的な一般論(ふわっとしたステレオタイプの母親像)に傷ついていた頃のことまで、思いおこす。良い母親ではないことを、糾弾されているような気がしてしまうことに、いまだに揺れてしまうのだった。

昨夜もその揺れを夫に話す。不安に思っていたことについて、計算して可視化できることはして、やっと「この件は問題なし」と思えたのだった。五時半起きで眠たいのに、夜な夜なそんなことをしていた。

夫が撮影したわたし。満面の笑み。明日から誕生月が始まる。

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