ヅカ考

宝塚が好きである。宝塚といえばもちろん、兵庫県宝塚市にある大劇場(通称ムラ。岐阜からやと、高速を使って三時間くらい。近い!)および東京にある劇場で観られる「宝塚歌劇」のことだけど、わたしにとってはそれ以上の意味があるもの、ただ口にするだけでふつふつと嬉しくなってくる、魔法の言葉なのだった。

昨年だが、某アイドルグループに所属している女の子が、そのグループを卒業することで話題になったとき、ふと「性別が変わらないからいいやん!」という気持ちになった。そのころ、わたしの大好きなトップスター(仮にYさんとする)の、卒業がすでに決まっていた。

宝塚には卒業(退団)がつきもので、年数の違いはそれぞれあれど、いつかは必ず皆に訪れるものである。全員女性の「宝塚歌劇団」は男役・娘役で構成されているが、花形はやはり男役。わたしも例にもれず、男役が好きなのだけど、自分の好きなスターが卒業するたびに性別が変わってしまうくらいに思うし、その衝撃になかなか慣れない。厳密にいえば、そんなことないのだけど(だって女性やしね)、この気持ちってなんなのだろう。

「私は男でも女でもなく、男役なんだ」

ツイッターの名言botで、ある元・男役トップスターがいったという言葉を目にしたとき、何だかすごく納得してしまった。分けるとするならば「男役」がひとつの性別なのだ。「男役」という性を演じきることは「男役」を生きることであり、そこに格好よさであるとか、それ自体が芸術作品であるとわたしは感じているみたい。そして、そこには「男役になってみたい」という憧れもわずかながら、含まれる。もちろん宝塚の魅力はもっともっとあるけれど、これはわたしの主観で、筆力が及ばないことや文字数が足りないこともあって、まずは「観て!」としかいえないのが、もどかしい。

Yさんが卒業して、ちょうど一年が経ってしまった。いまでも一日は、パソコンで宝塚の公式HPと、はるな檸檬先生のヅカオタマンガ『ZUCCA×ZUCA』(ジャンルを問わず何かにハマってる人なら、ぜったい楽しめるはず)をチェックすることから始まる。Yさんの卒業があまりに悲しくて、わたしもファンを卒業しようと思ったはずなのに、そんな気配が全くしないのだった。それでは皆さま、ご唱和ください。「清く、正しく、美しく」!

上記は、2013年に書いた文章である。地元で発行されている、10〜20代の女性に向けたフリーペーパーに掲載されたものだ。ところどころ内容はふるいし(いまではダルちゃんで話題のはるな先生。『ZUCCA×ZUCA』はもう連載が終わっています。ときどき最終回を読んでは泣いている)、それ以前にきはずかしいのだけれど、タイトルはそのまま、分かりづらかった部分だけ修正して、載せてみた。

約10年前に初めて宝塚を観たとき、その世界にひとめぼれした。好きなスターはつぎつぎと退団してしまったし、何せ育児が生活の中心で、いちじの熱は失ってしまっているけれど、いまだファンは卒業できずにいる。今日はここ数年のわたしの推し(という言葉もさいきんのものだなぁと思うけど)が出演する演目のチケット発売日だった。それが、自分が初めて観た演目と同じだったので(宝塚は再演が多いのです)思い出ぶかく、ぜったい取るぞと思っていたけれど、あえなく惨敗。一般発売だし、人気作だし、ファンクラブの会員でもないので、ほんとうに気合しか、わたしにはなかったのだ。演目とは関係のない、ベルばらのTシャツを着ていた。パソコンの目の前で完売、となったとき、ほんとうに泣けてきて、娘に「だいじょうぶー?」と心配されてしまった。それから、わーんと泣きながら、じたばた暴れていたら、夫に「あーちゃんが見てるから」とたしなめられた。

なんだかいたたまれず、上記の文章を発掘したのだった。なつかしかった。わたしはいまも、男役という性別に恋をしている。写真はいつの日かに撮った、ムラに咲いていた薔薇である(ちょっとピンぼけ)。