午前一時の台所

台所でハン・ガンの『菜食主義者』を読みおえる。床をみると、木でできた、玉ねぎのおもちゃが転がっていた。くたびれていると、だれも娘のおもちゃをひろわない。ひろいあげて、本といっしょに写真を撮ってみる。ちょうど午前一時だった。

自室は寒かったので、うす暗いけれどストーブのある台所へ、移動して読んだ。今日はひさしぶりに娘が昼寝して、夕方ごろに読みはじめたのだった。『ヒロインズ』の合間に読むつもりが(読書の休憩に読書)、止められなくなった。

ハン・ガンの本は、今年のさいしょに『ギリシャ語の時間』を読んだのがはじめてで、めちゃくちゃ心酔したわたしは(いちばんすきな恋愛小説かもしれない)、『菜食主義者』を割合すぐ買ったのに、手にとるのがこんなに遅くなってしまった。躊躇していたのだ。ある日、妻が肉を食べなくなる。三編の中編からなる本書の、表題作のかなり核心まで書かれたあらすじを、先にネット上で読んでしまったのだが、それだけで震えた。だから覚悟が必要だった。その闇の暗さを、痛みを、救いのなさを、受けいれることができるのか。

でもそんなことかんがえる必要なかった。『ギリシャ語の時間』を読んだときと同じように、どうしようもなく、わたしはただ、ハン・ガンの世界に、ひきつけられてしまうのだ。いっきに読むような、つづきが気になるから読む、という内容ではないと思う。ひと息に読んでしまうので(付箋をつける余裕もなく)、あいまいな記憶を補完したくて、すぐにまた読みたくなる。友人のI氏は、『ギリシャ語の時間』を読むと眠くなってしまう、と言っていたので、これはほんとうに、ひとそれぞれだと思う。

著者あとがきに、本書の創作ノートに書かれていたという、文章が紹介されている。

慰めや情け容赦なく、引き裂かれたまま最後まで、目を見開いて底まで降りていきたかった。

もうここからは、違う方向に進みたい。

『菜食主義者』はまさにそのとおりにして、書かれた世界だ。そして、著者はもう違う方向へ進んでいる、と綴られているのだが、それをかんじられるのが『ギリシャ語の時間』だと思う。まだ、読めていない過去作(『少年が来る』や、音楽にまつわるエッセイ集)はもちろん読みたいが、来月に発売される新作がわたしはとても楽しみなのだ。

今年はハン・ガンをきっかけに、自分のなかで韓国文学ブームが巻きおこった年だった。パク・ミンギュの『ピンポン』、ファン・ジョンウン『誰でもない』、『野蛮なアリスさん』なども夢中になった。今年の締めもまた、韓国文学かもしれない。もうすぐ発売される、イ・ラン(ワセブン女性号をきっかけに知ったアーティストだが、metooの文章も印象ぶかい)のエッセイ集も気になっている。あ!来月には、『82年生まれ、キム・ジヨン』もあったね。

昼の寝かしつけに苦痛をかんじるようになり、実験的に娘を寝かすのをやめていた。今日は一ヶ月くらい延期していた、母と姉とのランチだったので、帰り道の車でさすがに寝た。夜はそぼろ丼、ブロッコリーの蒸し焼き、冷蔵庫で忘れ去られていた、根とりもやしのナムル。あーちゃんはブロッコリーブーム。ただ茹でたものを、ばくばく食べている。

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