午前三時の日記(1)

 

いつも何かに触発されている。Twitter上で「B&B」の内沼さんが「日記屋」さんを開くということを知り(https://note.mu/shiburadi/n/n2a704b87059d)、日記文学好きであることをぐっと肯定されたような気持ちになったのと、このところずっと思っていた、「できるなら毎日日記が書きたい」という気持ちが噴出したのだけれど、仕事を始めてからここ最近、物理的に時間がなくなってしまったのだった。内沼さんが「日記を毎日書けるサービスを考えている」と言われていたのも気になって(詳細はまだ公開されていない)、自分の場合どうしたら書けるのだろうとかんがえてみたとき、どうも手書きの日記もわたしは書きたいのだということに気づいた。

手書きの日記はだれにも見せないことを前提に書かれる。自分のため、の純度が高い文章だ。わたしがひとの日記を読むのが好きである側面も、そこにあるような気がする。だれかになにかを啓蒙しようとする文章は、漂白されたようにきれいで単調にかんじられて、わたしはあまり好きではない。けれど、手書きで書かれた生々しい感情を、そのままネット上にひろげることを、自分がすることは良しとはしていなくて、このブログの場合はそういったネガティブな感情を、できるだけフラットにして相対化することで、浄化作用がうまれていたというか、それだけで救われる部分がかなりあったのだ。要するに、ネットで公開するのも、手書きで非公開のものを書くのも、どちらも自分のために必要で、どちらもしたい。

なので、題名も仮なのだけれど、一週間の日記をなるべく毎日手書きで書いて、週末あるいは仕事の定休日にまとめてここにアップする、という方法を思いついた。形式じたいは「fuzkue」さんの「読書日記」を参考にしています。とても長くなってしまう気がするし(前置きのじてんで長い)、はたしてつづけられるのか、次週があるのかもわからない状態だけど、始めてみる。

 

7月1日(月)

母の誕生日。何歳になったのか、もうわからない。おめでとうと送ったメールの返信に書かれていた母の年齢が、思っていたよりも上だったので驚く。今日は仕事があまり忙しくなかったからか、帰宅後の「なにもしたくない」という気持ちが、いつもより少なかった。

わたしはなにも信奉していない。なにかに属しているという感覚が希薄だ。

あーちゃんが保育園で初めて喋ったかも!という話を、お迎え時に担任のN先生から聞く。夕方、レゴブロックで遊んでいたところ、ワニ(の形になった物があるのか、組み立てたのかは謎)を両手にもって「ワニ、ワニ」と言ったらしい。のろのろと、夕食の支度をしていると、「ごーしーきーのー、たーんじゃくー」と歌っていた。五色…!と頭のなかで変換して驚く。保育園で覚えてきたであろう歌をよく歌っているのだが、園内で声をだしているのかは不明だ。夫も「喋ってないんだし、声もだしてないんじゃ…」と言っていたが、でもその状態で歌詞だけ覚えてくるのもすごいような。

 

7月2日(火)

朝風呂に入っていたら、午前中が終わった。朝風呂、最高。「快」という一字のみが、わたしの頭に浮かんでいた。

誕生日祝いに、実家から往復1時間かかる蕎麦屋へ、母とふたりで行く。ちなみに父からは遠いからという理由で、わたしの運転でその蕎麦屋へ行くことは禁じられている(母は免許をもっていない)。過保護である。こういった過保護エピソードにこと欠かないので、とくべつ裕福な家庭で育ったわけでもないのに、箱入り娘だと思われることが多い。

母も、わたしの年齢を知らない、と言っていた。

実家で十二年ほど前の宝塚のDVDを久しぶりに観る。オサさん時代の花組。母と「オサさん、顔小さい!」とばかり言っていた。研五くらいのだいもんは、まだ声量があまりなかった。

帰宅後、お迎えまで少しだけ時間があって、台所でぼんやりしていたとき、急に赤ちゃんの頃のあーちゃんに会いたくなる。二年前の、抱っこひもに収まった姿をスマホの画面で見て、胸がぎゅっとなる。赤ちゃんでも、ちゃんとあーちゃんで、いまもずっとあーちゃんだ。まだぷくぷくのほっぺは、一体いつまでぷくぷくなのだろうか。

今朝、夫が園まで送っていったとき、車内で「ぽんじゅうろうの歌」が聞きたいと言われたが、それがなにかがわからなかったらしい。ぽんじゅうろう…どこかで聞いたことのある響きだが、わたしもわからない。昨日のお迎えから帰る際は、「おもとの歌」を聞きたがっていたけれど、と話す。今日のお迎え時も、やはり「おもとの歌」がいいと言うので、三回くらいリピートして、ふたりでいっしょに歌いながら帰る。楽しい。

「おもとの歌」は、星野源「恋」のことである。サビ部分の歌詞で「〜るもの」という言葉がつづく箇所があるのだが、源さんの少しくぐもった発声のせいか、娘にはそこが「おもと」と聞こえるらしい。娘の発音も実際には、「お”も”ど」という感じ。夕飯を食べながら、初めてはっきりと娘が「ほしのげん」と言った。

N先生に確認したところ、園内でも小さな声で歌っているとのこと!今日は動物が描かれたカードで遊んでいたら、すぐにワニのカードを見つけだしたそうで、「あーちゃんはワニ好きなんですか?」と聞かれる。

 

7月3日(水)

溺れそうに眠いけれど日記を書いている。

花屋さんで見て思わず買った蕾の芍薬、帰宅したら萼にちかい部分の花びらだけ残し、くり抜かれたように中身がなくなっていて、驚く。床を見たら、蕾がまること逆さになって落ちていた。また、爆発した…としか思えないような散りかた。芍薬は爆弾。

あーちゃんの便秘が悪化。夫の帰りを待って浣腸する。

 

7月4日(木)

金曜感のある木曜。明日が金曜であることを、あまり考えないようにしたいのに、頭のなかでなんども間違えてしまう。朝、にんじんしりしり、マカロニサラダを作りご飯を炊いて、洗濯を二回したら、出勤までがぎりぎりだった。

手書きの日記はだらだら書いてしまう。だれも見ないからか、しゃんとしない。核心には遠回りしている。

勤務先でブログを書くことがあって、当初は自分の別キャラが書いているような気持ちがあったけれど、そうでもないと思いはじめる。なにも偽っているわけではないし、これも自分の一部分なのだなという感じ。むしろ、無記名ライター時代に山ほど書いた、さらさらした透明な記事は、もう書けないような気がしてしまう。依頼されれば、もちろん書くけど。

今日もおもとの歌を聞きながら保育園から帰る。家でも聞きたがるので、youtubeでMVを見せた。娘が「どうもー、ほしのげんでーす」と言うようになった。

 

7月5日(金)

朝、Twitterで未映子さん『夏物語』の読書会が、名古屋「ロジウラのマタハリ」で開催されることを知り(それも未映子さんの誕生日前日!)、興奮する。開催日が平日の夜と知り、すぐにシュンとしてしまったが、本当に不可能なのか?と、ぐるぐる考える。夫と交渉のすえ、協力してもらえることになり、参加を決めた。これまで読書会には、知人である「リチル」さんで開催されたものにしか参加したことがなくて、いつもなんだかもごもごとしか話せてない気がするのだけれど、今回は前のめりに「語りたい!」という気持ちがあふれてくる。しかも司会進行はリチルさんだし、店主さんとお話できるのも本当に楽しみ。こういった時間が、自分には必要なのだと思う。

勤務先でお客さんから、「親指いっしょですね」と言われて盛りあがる。わたしの親指は「まむし指」(ほかに言いかたないのかな?と思うけど)という、めずらしい形をしている。自分の家族全員このかたちなので、十歳ぐらいまで世のなかにひとみんな、この親指なんだと思っていた。家族以外で、この親指をもつひとに出会うのは、たぶん三人めくらいである。

お迎え時、N先生から「お喋り、どんどんしています!」と言われた。友だちとも遊べている!歌も大きな声で歌っている!とのこと。今日の給食は七夕メニューで、ちらし寿司だったのだが、あーちゃんだけ酢飯が食べられたらしい。酢飯、食べさせたことないのに。あーちゃんが楽しそうなことが、いちばん嬉しい。

ネットでの交友関係に救われていると感じる。ほんとうに、わたしたちはじゅうぶん、よくやってる。

 

7月6日(土)

今日は仕事。週末の朝はいつも、夫の焼くホットケーキを食べる。あーちゃん、ぺろりとたいらげる。

勤務先からの帰り際、雑誌のライター時代にたくさん仕事をともにした、カメラマンのDちゃんと久しぶりに会って、たくさんお喋りする。

夕食は丸亀。

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