1月19日(土)

今日はワンオペ。ふたりきりで家にいるのはもう無理だと思い、午前中から実家へ逃げこむ。

ゆきのまち幻想文学賞の応募原稿が完成した。幻想文学……と宛先を書きながら、わたしの書いたのは幻想文学ではないかもな、と思う。

でも、まあ、いいか。小説、書くって言ってて、ほんとうに書けたんだ。いったい何年ぶり?がんばったね、あなた。書きおえたあと、そんなふうに、ひとごとのように思う。小説を書くのに使っていた、アプリをPCで起動したときや、封筒に原稿在中と朱書きしたとき、なにもかもが、なつかしかった。

掌篇を書くだけで、かなり苦しかった。日中はPCが触れず、アイフォンも併用して書いていたけれど、そういった環境の正解は見つからないまま、〆切がきてしまった。追いこまれたときは、ファンである松田青子さんが、アニメ『少女革命ウテナ』のオープニングテーマ「輪舞-revolution」を聴いて、かっこよすぎて泣いてる、というTwitterでのつぶやきに触発され、自分のiTunesに入っていたウテナのサントラを聴きながら、書いていた。わたしも泣きながら。

もっと時間をかけて、ほんとうに少しずつすすめていくか、子どもを預けるということも、かんがえたほうがいいのかと思う。前もって計画すること、手続きをすることが、苦手すぎる。お金になるのかもわからない、やりたいことやりたいという理由だけで、子どもを預けてはいけないですか。そんなことも思ったけれど、つぎにやりたいことも浮かんでいて(まえから言ってる、ジンやあれこれ)、心だけはあかるく、いまはただ眠たい。

土曜でも開いている郵便局は、家から行くほうが近いのに、ひとりになりたくてわざわざ、実家に娘を置いてから、30分かけて行く。ひとりになると、やっと呼吸ができたと思う。すーはー、すーはー。車中でYUKIちゃんを熱唱する。郵便局の帰りには、書店に行ったりと自由を謳歌していたが、駐車場で動けないくらい腹痛にみまわれる。さすがに疲れたようだ。岐阜弁で言うと、疲れてまった。

実家の自室の引き出しから、ロリータファッションに身をつつんだ、16歳の自分の写真を発掘。夫と親友に、見て!とラインで送って満足する。黒歴史のひとつだと思っていた、二十年前(に、にじゅうねんまえ……文字にするとおののく)の、わたしは可愛かった。ちょうどライブに行ったときの写真だったので、夫からは「そういうときの格好か~」と反応されたけど、そうじゃない。普段から、これだったのである。コンビニもない片田舎で。

でもどうしてイジメなんてあるのだろう?

それはやはり愛が足りないからだと思う。

誰の?誰の愛が足んないの?

私の?

皆の?

この世の全体の?

『阿修羅ガール』舞城王太郎(新潮文庫)

わたしにも愛が足りないのかも。書店の駐車場から回復できたのち、車中で思う。けっきょくは愛なのでしょう、そうなんやろうと、わかっているつもりでも、それでも愛というひとことで、わたしはおわらせたくない。原稿用紙百枚くらい、いやもっと、言葉を尽くしたくて、もがきたい。だから、文章が書きたいなんて、思いつづけとるんやろう。疲れてまうと思念まで、岐阜弁になってまうんやな。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です