1月29日(火)

夜。台所に置いてあるストーブの前で、焦げつきそうになりながら、ジンを捲っていた。読んでいたのは、きくちゆみこさんの「ライアーズ」7号。

〈生きることの嬉しさを何げなく生きる〉

本誌の軸になっているのは、辻邦生が、ドストエフスキー『悪霊』の登場人物キリーロフをあらわした言葉。その完璧な文字列。

友だちができるというのは、恋に落ちることと似ている。そんな言葉が、ミステリーなのに読みかけのまま、ずいぶん時間が経ってしまった『コードネーム・ヴェリティ』に出てきたことを、思い出す。わたしはその予感のなかに、わくわくとして居る。

うれしいことがあると、(日記のなかでは)途端にだまりこくってしまう自分もいる。ああ、今日もとてもうれしいことがあった。言葉にせず、まだ感情のまま、よろこんでいたいのかもしれない。

今週の日曜日。わたしは一日中、名古屋にいて、自分の交友関係のすべてでは?(まずもって少ないのですが)というひとたちに会った。そして会えなかったひとたちのことも思う。ふだん本当に動かない自分にとっては、動きすぎたような日だった。このときは気づいていなかったが、ふしぎなシンクロも起こっていた。

今日は、娘のいやいやの、あたらしい扉が開いたような日。いちごと焼きそばの麺を買いに、近所のスーパーへ行った帰り、「くすりやさんへいきたい」と言う娘。くすりやさん、というのが、これまた近所の薬局なのか、ここから距離のある、かかりつけ医の薬局なのか分からないまま、すぐ家の駐車場についてしまった。いちご冷蔵庫に入れなきゃね、と車から降ろそうとすると、泣いて抵抗する。抱きあげて帰宅したが、いつもならそこで「わーっ」となるところ、ブランケットを手にそのまま寝室にいき、しずかに寝転がる。あきらかに、拗ねている感じだ。近づくと、「だいごころ(台所)、いって!」と言って、かたく目を閉じている。娘の気がすむまで、ほおっておくしかなかったのだが、こういった静の反応が初めてで、結構とまどってしまった。

娘が起きている日中は、日記を書かない。つまり、書くのは夜だけ、という実験を今日からしている。でも、夜の寝かしつけ時、ふわふわとまどろみながら、このまま眠ってしまったら、どれだけしあわせなのかな……とも思った。娘はもうずっと昼寝しない(眠そうなサインもない)のだが、わたしが寝かしつけをあきらめてしまっただけ、ともいえる。

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