1月6日(日)

「女性たちの時代が来たんだな。女の子たちの時代だ。そうじゃないか。もう来てもいいころだ」

-「ではまた九月に、ペトロネラ」ジーン・リース『あいつらにはジャズって呼ばせておけ』所収(惑星と口笛ブックス)

年末に読んでいた、ジーン・リースの短篇にあった一文。夏をある場所で過ごすことにした主人公の女性が、しばらく留守にするとアパートの大家に告げたとき、大家が言った言葉が、みょうに印象に残っていた。そして年があけて、あの広告の炎上(とにかく支離滅裂なきもちわるさを感じた)。一九三〇年後半に書かれたという短篇のなかで、女性たちの時代は来ない。いるいらないのまえに、いちどだって、そんな時代は来ていない。まだ、本書じたい読んでいる途中なのだが、出版元による説明にあった〈ジーン・リースはまぎれもなく現代作家である〉という言葉に、うなずくばかりだ。先にすこしだけ目をとおした解説によると、彼女自身はフェミニズム的ではなかったようだが。先日Twitterで、フェミニズムの要素だけで見ると、物語の読みが狭まる、という内容のつぶやきを見て、頭では理解できるのだが、それでも「でも、」と漏れでてしまうものが、自分にはあるなと思う。

話は変わるけれど、この短篇にはとても好きな文章があった。主人公は、同じアパートに住んでいたフランス人の女の子を、彼女のようになりたいといって好いているのだが、その女の子の部屋をこう表現する。

〈小さな活字で六百五十ページもあるような、フランス語かドイツ語かハンガリー語か何かから翻訳された長編恋愛小説に出てくるような部屋だ〉

ちなみに、イギリスの小説ではダメなのらしい。

〈そういう本を一ページか、ひょっとすると一語でも読んでしまったらもう止めることはできない。その後何週間も、何ヶ月も-下手すれば一生のあいだ-ひとつの夢の中を行きつ戻りつすることになる〉

今日は夫の冬休み、最終日。明日からまた、娘とふたりきりの日々が始まると思うと、少し切ない。何品かのごはんを作る自分の姿も、まったく思い浮かばない。夫が何のまえぶれもなく、ぎっくり腰になる。自分たちって何ておじいちゃんみたいな色合い(チャコールグレー、こげ茶、ベージュ、濃紺)の服ばかり着てるんだろう。今年はもっと色を取り入れようぜ、とちょうど午前中に話していたのだけど、夫はほんとうにおじいちゃんのようにしか動けなくなってしまった。娘も抱っこできない。そして、いつもより多めにおやつをあげていた(おじいちゃんっぽい)。ハン・ガンの新刊を読了。新刊をつぎつぎ手にとる生活は自分には無理だと、すっかりあきらめているが(というか向いてないのかな。同じ本を繰り返し読むのが好きだし)、彼女の作品だけは追いかけたいと思う。ずっと楽しみにしていたカナイフユキさんの本や、友人が寄稿しているリトルプレスなども注文したところで(欲しい本はみんなSONNY BOY BOOKSさんにある)、届くのを心待ちしている。

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