10月16日(火)

ぎーちゃん一枚で夜を越えることができた。それも歯みがき前の一枚。「さいごね」「おしまいね」と話しかけながら。はげしめの夜泣きがあって、わたしはまた布団のうえで動けず、夫はどうするのだろう、と内心おろおろしていた。しばらく泣いていた娘は、いっしょに布団のなか入ろ、という夫の呼びかけに応じて、ねむっていった。朝ごはん時、あらためてそのことを確認して、感動する。足をひっぱっているのは、けっきょく親かもしれない…という反省はすこし傍に、置いておいて。わたしたちは段階をふんでしか、先にすすめなくて、娘はいつもその先にいるような気が、やはりしてしまう。今朝は炒り卵、20グラム。大丈夫だった。

今日は児童館でのリトミック教室、二回め。三十分はやめに着いたら誰もいなくて、ほっとする。児童館へ行くことの緊張が、なかなかなくならなくて、いちど分析してみたいところ。わたしは学校という場所が苦手なのだが、それに近い感じだろうか。前回、みんなと同じ行動ができなかったことに、思ったより自分が焦ってしまったことは、日記にも書いた。とにかく、慌てず見守ることを念頭にいどんでみたのだけれど、今回もあーちゃんは独自のルールであそんでいて、むしろ潔いというかあっぱれというか、わたしはずっと笑っていた(話を聞いた夫も個性爆発やな、と言っていた)。

先生の指示にしたがって、キーボードの伴奏をBGMにカスタネットや鈴、ボールなどの小道具をつかってあそぶ、というのが基本のながれなのだが(それが結構めまぐるしい)、今日は赤、青、黄色などカラフルな正方形の厚紙の束をわたされ、四組くらいの親子でグループになり、それを好きに床に並べて家とする、みたいなあそびがあった。あーちゃんは並べることにまず、ピンときていなかったのだが、他の子たちが並べ終わった厚紙を一枚ずつ、その紙がもともと入っていた箱へ、片づけはじめた。そのじてんで、あそびは次の段階へすすんでいて、先生のみちびきで他の子たちは各家のまわりをぐるぐる回っており、娘の行動じたいはそこまでの妨げになっていないように思えた。だから見守っていた。

わたしには、娘はそのほうが楽しいと思っているように見えた。ただ自分が楽しいと思ったことをしている。なにも全てを無視しているわけではなく、先生の身ぶり手ぶりを真似しているときもあって、そのときはそれが楽しそうだった。他の子へのいちじるしい妨げや、怪我をさせるようなことでなければ、好きなようにさせたいと思った。

名札をつけるかわりに、娘の名前をプリントしたTシャツを着せていて(夫がネットで注文した。先生にウケた)、ただでさえ目立っていたので、「あの子、発達が…」とか、他の親さんに思われてしまうのかな、ということがちらりと頭を掠めたけれど、もう親子ともにそういうキャラってことで、受けいれてもらえないかな、てへぺろ、くらいに思ったのだった。ゆるやかだけど一時間動きっぱなしで、終わったときは息ぎれしてしまっていたが、わたしも楽しかった。

そういえば、教室ではさいしょ、先生が子の名前を順番に呼んでいき、呼ばれた子が「はーい」と手をあげる、というのが定例である。今日は、他の子が元気よくそれを遂行していくたび、あーちゃんが「やばい」と言いだして焦った。わたしがよく言う言葉ではあるけれど、娘が使うのを初めて聞いた。焦ったあまり、「やばくないし」「やばい」という会話を親子で繰りかえしていたのが、ふりかえってみても、やばかった。

母から貰い、持て余していたくるみを、昨日ふとキャラメリゼしてみたら、はまった。食べるのを止められなくなり、起きたら肌は絶不調、ぶつぶつと吹き出物ができていて、ほんとうに体は正直というか、わかりやすい。甘いものはドラッグ。