10月31日(水)

今日まで、どれくらい日記を書いてなかったのか、かぞえてみたら五日間だった。それはながいのかみじかいのか。

ずっと鼻水がとまらないのは、風邪ではなく花粉症かもしれない。

月曜は娘を連れてB家へ行った。べつに用事はなくても、なんとなく来てほしそうだな、という親の気持ちを感知して、行く。わたしが子どものころからある、動物などの絵がついた、木製のつみきをあーちゃんに見せるたび、その名まえが言えることに、父が驚愕していた。さらに、数字もほとんど言えるので、「何でわかるんや!」と叫ぶ父。

火曜は、特売日のスーパーという、苦手な場所へ行ってしまったあと、いつもの公園。二羽の鳩がいたのだが、娘は「かもちゃ〜ん」と言って追いかけていた。娘が何を言っているか、さいしょはわからなかったのだが、鴨だった。あーちゃんはたぶん、図鑑でしか見たことのない、鴨。

今日は、一週間のうちで何回かある、子育てのうまくいかない日だった。いや、日というよりは時間帯というべきか。午前うまくいかなくても、午後に挽回できる日もある。日記がはやく更新したいとか、頭のなかでかんがえていて、目のまえのことに集中していないと、余裕がなくなっていくようだ。娘が公園から帰りたがらなくて、寒空のした、二時間滞在したり(いつもどうやって帰るかというと、おやつで釣っている。『いらん』と言われると、なすすべのないわたし)、なかなか昼寝しなくて、一時間ドライブしたりする。平気なときもあるけれど、今日はいらいらしてしまった。

ヴィヴィアンこそ、近代における「シェイクスピアの妹」として読むことができるのかもしれない。偉大な劇作家の架空の妹。ヴァージニアは『自分ひとりの部屋』で、この女性の運命について深く考えている。書きたくて、書けなくて、それでも書かずにはいられない女性のドラマを体現する存在。ついにはペンをとり上げられてしまう人。

-『ヒロインズ』ケイト・ザンブレノ 西山敦子訳(C.I.P.BOOKS)

娘が寝たあとに、あまりに本をひらいてなさすぎでやばいと、台所に本を持ちこんで家事する。それでじゅうぶんに、読めるわけではないけれど。『ヒロインズ』を捲る。すこし時間があくと、まえに読んだ部分の記憶がなくて読みかえし、同じところばかり読んでいる気がする。芋づる式にほかの本も読みたくなるので、まずはヴァージニア・ウルフを捲っているが、つぎはジーン・リースの『サルガッソーの広い海』が気になっている。ヒロインズに関するつぶやきが、Twitterでも散見されるのだが、「日本でいうなら矢川澄子」というのを見つけた。わたしは矢川澄子と誕生日がおなじで、それだけで定期的に、彼女について知らなければ、という気持ちになる。また、それがやってきた。何から読んだらいいのだろう。『おにいちゃん』という書名をみただけで、心がざわつく。

夜には余裕をとりもどせたけれど、夫がいつもより遅めの帰宅。漫然と待つ。みんなで布団にたどりついときは、二十二時半をすぎていた。そこから記憶はない。