11月16日(金)

洗濯をしていたら、急にあるかたのことを思い出した。わたしは洗濯中、だいたい他ごとをかんがえている。お元気だろうか。きっと多忙だろうけれど、お元気にはちがいないと思う。

そのかたを仮に、BJさんと呼ばせてもらおう。一般のかたであるBJさんの、わたしはただのファンである。Twitterをきっかけに知ったのは、もう何年も前だ。そのころはブログも拝読していたが、とにかく文章がおもしろいのだ。シュールなまんがもすきだった。海外文学を主とした本への造詣がふかく、読書の参考にもさせてもらっていた。

いつからか、TwitterとInstagramでフォローしてもらえてうれしかったのだが、一度だけ、衝動的に話しかけたことがあるくらいで、このところBJさんはつぶやかれなくなって久しい。インスタでたまにされる投稿をみては、なにか話しかけようとして、躊躇する。

SNSをはじめてずっと、現実で会ったことのないかたに、話しかけることは未知の行為に思えていた。自分の内側から聞こえる、「おまえはだれだ」という声。すきなひとに、衝動的に「すきです」としか言えないような、自分の不審さ。でも、自分が話しかけてもらえたとき、そんなことは思わなかった。ほとんどはうれしくなることが、おおいのだと、この一年で思うようになった。話しかけてもらえたから、自分も話しかけられるようになったのだと思う。

BJさんの文章が読みたい、こいしいなと思っているいま、勇気をだして話しかけてみたらよかったのかなと、ふと思う。このブログにもコメント欄を設け、お声をいただくとうれしくて、でも自分から話しかけることは苦手、と依然と思っているのは、受けみすぎやしないか。受けみなのに、求めすぎではないだろうかと思ったのだった。

しょうじき、BJさんにたいし「自分なんて」という気持ちから、話しかけられないのもあった。自分なんて、おもしろくないし。頭よくないし。自分と似た境遇のなか、BJさんが小説を書きあげたことを知り、心がゆれた。わたしはもう小説を書けないのではないか、と思っていたときだった。はずかしい話、そんな劣等感にちかい感情を、もってしまったことがあった。

いまもわたしは、「書きたい」とか「書く」とか、さんざん言ってからしか、書きはじめられない。あつくるしい。BJさんはしずかに、ご自身の言葉で、書かれているのではないかと思う。どこか無理して、話しかけなくたって、べつによいのかもしれない。いつか彼女の小説を読んでみたいと、願っている。

午前中に、そんなことばかり考えていたのは、読みかけのヒロインズの影響があったのだろう。夜、ついに読了した。終わりにちかづくにつれ、自分がブログをはじめる前後、いま思っていること、そのものが書かれてあるような気がして、付箋をはる指が止まらなかった。胸がいっぱいだ。まずは感想をかたちにする。わたしは書きはじめる。

2件のコメント

  1. なんだか、はじまりの、そのまたはじまりの、澄んだ空気を嗅いだような気がします
    それを濁さないよう、静かにしているべきなのだろうけど
    どきどきがここまで届いたような気がしています

  2. yukoさん ありがとうございます!
    日常はあいかわらず慌ただしいのですが、自分の内側はかくじつに変わったと、かんじています。
    すこしずつの歩みですが、一年前の自分とくらべたら…ほんとうにおおきな一歩です。

kao にコメントする コメントをキャンセル

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です