11月17日(土)

この写真は、娘といっしょに、公園へ行った夫が撮ったもの。わたしはその頃、所用で実家にいた。やたらと、はれやかな気持ちで、本を二冊(ヒロインズと、昨日買ったイ・ランのエッセイ『悲しくてかっこいい人』)と、お気にいりのノートと筆記具(ナヌークの白いノート、ステッドラーの黒いボディの製図用シャープペンシル0.9ミリ)を、布のバッグにつめて出かける。でもそれらを開くことなく、実家ではいつもどおり、宝塚のDVDを観て過ごしてしまった。

あーちゃんはずっとすべり台をすべっていたらしい。いつもの公園のすべり台、娘は怖がって階段を一、二段のぼることしかできなかった。それが先日、たまにここで会う、娘より三ヶ月ほど年下の女の子の影響で、急にすべれるようになったのだ。会ったのがひさしぶりで、その子のおかあさんに、「このすべり台、一歳半でがんがん、のぼれてた子がいてすごいなぁと思って…」と話していたのだが、その女の子のことだったと、後から気づいた。つぎつぎと遊具であそぶ、活発な女の子に、いっしょにあそびたいあーちゃんはくっついてまわり、シーソーをふたりでした(わたしはまた内心、感動)。それで、すべり台も、後をつけるようにして、すべることができたのだ(内心、号泣)。

さいしょ娘は、寝そべるように、身体をすべり台とほぼ平行にしてしまうので、すごい速度がでてしまう。しだいに頂上で立ち止まったまますべらなくなり、わたしが逆走して迎えにいき、いっしょにすべる、というのを繰りかえしていたら、けっこうしんどかった。なので、夫に「大変じゃなかった?」と聞いたら、「楽だった」という返事。すべれるようになってまだ二回めなのに、ひとりでがんがんすべっていたらしい。夫はひたすらその姿を写真や動画に撮っていたのだそうだ。

午後からはひさしぶりに県立の図書館へ行った。こちらでいま展示している、歌川国芳の「木曽街道六十九次」を観にいきたかったのと、ヒロインズ関連の本が借りたかったのだ。でも、向かう途中の車内で娘が寝てしまい、わたしだけ本を借りにいくことにした。産前に数年間、返却された本を、ひたすら棚に戻すバイトをここでしていた。やや遠方にあるので、子どもができてから足が遠のいた。産後にいちど本を借りたはずなのに、五年以上利用してないからわたしの情報が消えたと言われる。そんなことってある?と思いながらも、面倒なので言われるまま情報を更新した。ゼルダ全作品集、ジーン・リース(サルガッソーしか図書館にはない)、アナイス・ニンの日記、矢川澄子のエッセイ、アナイスの評論、ユリイカの特集号など。どこまで読めるかわからないけれど、ぜんぶで十冊。重。知的好奇心がみたされて、息がとまりそうになる。ずっと読みたかった、山崎まどかさんの書評集『優雅な読書が最高の復讐である』を見つけて、思わず借りたが、これは装丁をふくめ買わなければいけない本だった。読みたい本が無限にふえてしまう予感。

★追記

あ、でも図書館で借りた本って、あまり身につかないという印象があるのは、なぜだろう。もちろん、図書館でしか手にすることのできない本もいっぱいある、というのは前提で。

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