2月12日(火)

ずっと毛玉が刈りたかった。連休明け、娘といっしょに夫を仕事へ送りだし、さいしょにしたかったことは、自分のセーターの毛玉取りだった。ネットで見つけて、「色から力を得たい」みたいな気持ちで買った、マゼンタ100%(要はまっピンク)の古着のセーターは、ぜんたいてきに毛玉がすごいことになっていた。もちろんコンディションは承知のうえで、「そんなの刈ればいいやろ」と購入したのである。取るというよりは刈るになるとわかっていた。

でも甘かった。ずっと使っている、電動の毛玉取り器に信頼をよせているわたしは、毛玉取りという作業じたいが、かなり好きである。作業していると毎回「ああ、これがしたかった」と、ふつふつ嬉しくなってくる(これに似た作業ってほかにもあるだろうか、すぐには思いつかない)。それはある程度ゴールが見えていたからであって、達成感があるから嬉しかったのかなぁと、刈っても刈っても、もこもことしてさえない表面のままのセーターに苛だちながら思う。こんなになるまで放っとかれるってどんな……と、まえの持ち主に思いをはせて、セーターのことがどんどん不憫にもなってくる。おそらく毛玉だけの問題ではないのだと、毛羽立ちにスチームをあててみる。再度、セーターがなくなってしまうのではという勢いで刈り続け、さすがになくなりはしないけど、向こうがわが透けるんじゃ、というところで止めた。うーん、これはありなのだろうか。正直よくわからない。

そもそも、わたしはこのセーターを、今週末にあるライブへ着ていくために買った。自分が好きになってから数年が経ち、いまやたいへんな売れっ子になってしまった、Gさんのライブである。産後はじめてのライブだが、ライブへ行くことじたい、産前よりまえから、頻繁にあることではなくなっていた。しかも会場が、行ったことのないとても広い場所で、想像するだにそこが途方のない広さであることに、うっすら不安な気持ちになる。そして、このライブに誘ってくれた友だちが「Gさんって本当にいるんだろうか」と言っていたことを思いだして、何度もじわっときている。ね、ほんとうに。チケットを目のまえにしても、いまだに信じられない。とにかくオペラグラスは必携である。靴や鞄をふくめ、「何着てこう?」は自分にとって結構な問題で、それだけでも頭はそわそわと、騒がしくなってくるのだった。

昨日から読んでいた、川上未映子さんの新作「夏物語」前編を夜に読了。過去に書かれたある作品の語りなおしである第一部、そこに書かれていなかったことが、いま書かれるべきであったこと、そして自分の読みたかったことだと感じて、涙ぐみながら熱中した。第二部はその続編という括りになるだろうか-すこし冷静に読みすすめるも(いや、そんなこともないか)、続きがとても気になっている。もう八年くらいまえ、わたしはイベントで未映子さんご本人に会って、まだちゃんと作品を読んでいないような状態だったのに、好きになってしまった。それから作品も大好きになったのだけど(その話はまた今度)。未映子さんがネット上で連載していたコラムに、ふたりめの子どもをうむのは無理、と書かれていたのを産後すぐくらいに読み、何だかほっとしたことが、わたしの記憶にはずっとある。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です