3月30日(土)

ブログの下書きフォルダに入ったままだった、五日まえの日記のつづきを書きたして、更新しようとしたら、消えた。こういうこと、なんどもあるから、いつもiPhoneのメモに書いてコピペするのに、ずっと残ってたからって、油断した。こういうとき、ぜったいなんてないって、自分に言い聞かす。

ゆうこさんのzineに原稿を送った(一番のり!)。それがきっかけで始めたコラージュを作ったり、本を読んでいたら三月は過ぎていった。

日記が書きたい気持ちと、自分でつくりたい本の原稿を書きたい気持ちがあって、両方とも書けなくなっていた。物理的に、時間はない。でも、そのことを悔やむというか、時間がないからやりたいことができないと思うこと、この先に時間のある日が訪れてやりたいことができると思うこと、どちらもかんがえたくなくなった。もちろん、どちらも事実であるし、後者はひとから言ってもらえることが多く、励みになるしありがたい。ただ、自分のしたいことは、積みかさねなのだと思う。ずっと、つづいていくのだと、思っている。時間ができた日に、とつぜんできるように、なることでもないのだろう。だから、目のまえにある家事育児をやりつつ、できることをやるしかなくて、でもほんのすこしずつしかできないのが、事実だとかんじている。ただ、生活がある。

よわっていたのかもしれない。いや、よわっていた。ふと、大丈夫だと、言われたいだけのような気がしてくる。応援してもらいたい。そのためだけに、お金を使ってしまいそうになるくらい。大丈夫になって、また大丈夫じゃなくなる。そんなことの連続だ。朝ごはんのホットケーキを食べながら、夫に「わたしは大丈夫と言われたい」と、白状する。「え、大丈夫だよ。つねに大丈夫だよ」と言う彼に、この二ヶ月くらい、やりたいことにかんして思い悩んでいたことを、話す。やっと話せた。というか、こんな身近に話す相手がいたことを、忘れていた気がする。「それは今年は無理。だから、こうしたらいいんじゃないの」という夫の言葉に、すっきりしたし、安心した。いまは、気になる詩集をネットで検索していたら、ぜんぜん関係ないヴィンテージのアクセサリーショップに辿りつき、そこで見つけた、自分好みのロケットペンダントの写真を眺めているだけで、わたし大丈夫かも、と思えるくらいは回復した。

自室の本棚がついに完成した。天井まである棚が二つと、文庫本用の棚が四つ。未整理のまま(『ぼくの地球をまもって』はその場所じゃないなぁ、とか思いながら)、とりあえず本を入れる。まだ余裕あるやん、と思う。

このブログをリニューアルしたい、と思いついて、でもそれがどこなのか、見ためなのかはたまた題名なのか、まだ思案中。

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