9月27日(木)

こんなに明瞭な世界はなかなか小説にすることはできない。なぜなら、作家はいつも書きすぎてしまうからだ。作家が日記を書くほんとうの理由は、実は、そこが書きすぎないことによって完全な表現に至ることのできる世界だからだ。そう、そこは作家にとってユートピアなのである。

-高橋源一郎による中野重治『敗戦前日記』の書評より

何かを書こうとしても、書ききれることがない。日記を書いていて思う。書いたそばから、何かちがっているような気がしてくる(つい先日、自分の時間がほしいと思わなくなったと書いて、さっそく昨日その確保に必死に。寝落ちしてなるものかとねばり、娘の就寝後2時間半身浴して、読書会の課題本を読了した)。それがおもしろくて、日記はわたしにとっても、ユートピアだ。

書こうとして忘れてしまうこともよくある。数日前、エムエムブックスから届いたメルマガで、自然派育児に関するおたよりを読み「ひっ」となって、そっと閉じる…(またあとで読みました)という反応をしたことを書こうとしていた。でもそれは、わたしは自然派育児しとらへんよ、というだけのことで、されている/されていたかたへの、否定では決してない。自分はなぜ冷えとりをしているのか、にすこし関連がある気がする。

冷えとり健康法をはじめ、たぶん8年くらいになる。いつも靴下を7、8枚ほど履いているが、言う必要性もかんじないので、数年前からそのことをひとに言うことはなくなった。むかしに比べ、体調はかくだんに良い(でも妊娠中つわりがなかったことに関係あるかは、確証がない)。そもそもは、近所の書店でたまたま手にした「暮らしのおへそ」という雑誌にみれいさんが載っていて、その陽気な姿に「なんだか楽しそう」と惹かれたのが、きっかけだった。その頃わたしはフリーランスになりたてで、「自分もこんな素敵な編集・ライターになりたい」と切実に思った。もちろん体調がよくないのもあった。営業だったときの癖が抜けず、取材先に気をつかいすぎてしまうし、いつも緊張していた。マーマーマガジンを読みはじめ、仕事の参考にもしていたけれど、とにかくマーマーというリトルプレスが好きだったなぁ、としみじみ思いだす。

冷えとりはいまではもう趣味というか、はじめたきっかけが、快楽という状態を求めて、だったので、他にもみれいさんのおすすめされることを、ときには切実に、いろいろやってきたのだが、どうも自然派どっぷり、ということになれなかった。スピにもそれは言えて、ただ楽しいものだと思っているふしがある。わたしが怠慢な性格だからかもしれない。できるだけ自然に、育児したいと思っていた。でも現実は、アラフィフの夫とおもにふたりで育児していくとなると、いかに楽をするかに重きを置いてしまいがちだ。そして楽をしようとした結果、楽ではなくなることを何度も繰り返し、それすらまあいいか、となってしまう。育児に関しては、ほんとうに皆こんなことしているのだろうか、と思うことだらけなのだが、裏を返せば、自分はできればしたくない、とどこかで思っているのである。面倒くさがっているのである。

自然派とはまた関係なく、幼稚園のこともそうだったが、医療に関しても、自分ひとりが母親として責任を負わないといけない、という思い込みが、わたしはとても苦手なようだ。ちょうど連休明け、娘の便秘の薬をもらいに小児科へ行かねばならず、そのとき頭をもたげていたのは、卵アレルギーの相談をしないといけないことだった。0歳の頃、ひどいアレルギー反応が出て、かかりつけではない医院に駆けこんだところ、看護師たちから責められたことが、トラウマだった。後日かかりつけ医に相談し、血液検査をしてアレルギーは認められても、この先どう判断してやっていくか、やはり自分ひとりで決めなければいけない、と思うことが辛かった。卵の入った食品をすこしずつ食べさせる、という方法は曖昧で、やっていて心細かった。連休さいごの夜、このことを夫に話せただけで、ずいぶん楽になった。この先の検査(病院でゆで卵を食べて反応をみる)を受けることに、迷いがなくなり、翌日ははればれとした気持ちで小児科へ行けた。結果、その検査の前にまた血液検査をすることになった。抗体ができている可能性があるから、と。そうだったら、どれだけうれしいか。

あーちゃんは小児科へ着いたとたん、おもちゃのあるキッズコーナーへ一目散。混んでいても、わりとすぐ順番が来るので「名前呼ばれたら、先生のところへいこうね」と話しかけていたら、呼ばれたときすぐにあそぶのをやめた。娘の成長ぶりに、心のなかで号泣する。もう自分の名前をわかっているんだな。